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ヴォーカル考 -6- 

ヴォーカル考 -5-」より続きます。

ジーノ(Zeno Roth)のマネージャーとヘルゲ・エンゲルケ(Helge Engelke)は、実は結構な腐れ縁で旧知の仲。(つまり言いたい放題…。)
ジーノからオーラフの名前が挙がった時点で、「げっ!またファミリー使いまわしかよ…」というヘルゲの言葉を受け、マネージャーも「なら、いいヴォーカル紹介してみれ!」と売り言葉に買い言葉。

そこで、「結構な実力があるのに、ドイツ人のミュージシャン間でもレコード会社からも世間からも、滅法過小評価されてるやつがいるなぁ。」という話が出て、「誰やねん、それは!?」となったわけです。
それが、マイケル・ボーマン(Michael Bormann)だったのですが、そこで十数年前のボーマンを知っているマネージャーとヘルゲで、

マ:「おお、めっちゃかわいかったやん」
ヘ:「・・・」
マ:「ライブもできるやん」
ヘ:「うむ」
マ:「なにしとんのん、いま?」
ヘ:「知らんわ」
マ:「性格どうなん?」
ヘ:「・・・」
マ:「ん?」
ヘ:「性格やなくて実力やろ、要は…」

…というような会話が進んだのでした。

この際に、ヘルゲからは合わせて4人ほど、さらにトミー・ハート(Tommy Heart)からも3~4人のVo.の推薦を受け、CDやらMP3やらの音源を元にしたジーノのヴォーカル・サウンド・チェックが続いていくことになります。
そして、もっとも彼のイメージに近い音が、"90年代の頃の"マイケル・ボーマン(Michael Bormann)だったわけです。

決断は意外と早く、「彼でいく!」というジーノの一声で、裏で慌しくスケジュール調整が行われていきます。
そしてロートとボーマンがはじめて電話で肉声で会話したのが5月上旬。実はこの際、ジーノ・ロートは一抹の不安を胸に抱くことになるのですが、とりあえず会ってセッションを開始してからすべてを決断しようと、この不安を無視します。(それがあとでとんでもない結果を生むことになるのですが…。)

そしてマイケル・ボーマンが、ジーノの所有するウェールズのスタジオに到着したのは2005年5月23日。
実力のあるシンガーに多い、いわゆる「私はディーバ!」風を予想(覚悟)してマイケルに会いましたが、予想を裏切り、彼は性格の良い好青年ぶりをふりまいてくれるのです。
もしかしたらうまくいくのかもしれないな…と思いつつ、しかしスタジオで最初に彼の口をついて出た言葉は、

「こんなの、一日2曲は余裕だよ。なんなら3曲終わらしちゃう?俺は全然問題ないぜ。早く終わらせてパブに行こうぜ~!」

この一言で前途が多難になることは約束されたのでした。orz

…「ヴォーカル考 -7-」に続きます。
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ヴォーカル考 -5- 



ヴォーカル考 -4-」より続きます。

1988年、バンド「ZENO」は、使途不明金とトラブルの多かったマネージャーのデイヴ・コーク(Dave Corke)を解雇し、英国の新しいマネージメントに就きます。同時に「EMI UK」も離れ、次作の契約のためにショウ・ケースを行うことになります。(たとえば、ロンドン・レコードとか…。)
このとき、リズム・ギターとして招き入れたのがヘルゲ・エンゲルケ(Helge Engelke)です。家が近かったこともあり、彼のことをよく知っていたジーノ(Zeno Roth)が彼を呼び寄せ、「ZENO」としての新たなスタートを切ることになりました。

…が、同年8月には、マイケル・フレクシグ(Michael Flexig)がバンドを離脱。
新しいヴォーカル探しを担当したのは、ジーノとCC(CC Behrens)で、山のように積まれた資料とテープの中から、あの「イーグル」の図柄↓がジーノの目に留まるわけです。
V2彼ら(バンド「V2」)の音を聴き、そこに自然で天才的な才能を見出したジーノがトミー・ハート(Tommy Heart)に連絡。もともとジーノの大ファンであったトミーが、ほぼ即答で「ZENO」加入に同意する…という話は、フェア・ウォーニング(Fair Warning)ファンの方にはお馴染みかもしれませんね。

そしてこの新メンバーで、当時「ZENO」に多大な興味を示していたゲフィン(Geffen Records)にショウケースを行うのですが、トミーのVo.に難色を示したゲフィンが、トミーを脱退させる条件で契約を提示してきます。が、これにジーノとウレ・リトゲン両者がが反対し、その後、フェア・ウォーニング(Fair Warning)が誕生することになりました。

…というわけで(前置き、長いね。すみません)、ジーノはトミーの才能を高く評価しており、またこういった長い歴史からも、今回のアルバム(Runway To The Gods)のVo.として、遠隔レコーディング(英と独)を試みるのです。
(その後さまざまな経緯から、残念ながらトミーのヴォーカルは実現しませんでしたが…。)

上述のように、ヘルゲとジーノにも長い歴史がありますが、ジーノの新Vo.探しを巡り、「ファミリーって名の下(ウリ・ジーノ・フェア・ウォーニング・ドリームタイド)、同じようなメンバーでサークルを一緒に回っているのって、息苦しくない?」…という自らの言葉を補充するかのごとく(笑)、彼からいろいろなヴォーカル候補の名前が出てきます。

その一人がマイケル・ボーマン(Michael Bormann)でした。(ほかに、ドイツの「マイケル」が、あと2人くらい出てきましたけど…笑。)

…「ヴォーカル考 -6-」に続きます。

ヴォーカル考 -4- 

Zeno Rothヴォーカル考 -3-」より続きます。

ジーノ(Zeno Roth)が、英国にスタジオを移したのは2000年の夏ですが、その前の北ドイツ時代に、「Shades Of Blue」や「Runway To The Gods」を含む5曲ほどのデモは出来上がっていました。(ちなみに当時のデモ上での「Runway To The Gods」は、オープニングが微妙に違っています。)
デモはいつもジーノ自身のVo.で作られます。それを基に、本当のヴォーカルとディスカッションが進められ、レコーディングへ入っていくことになります。
(音域に関する)批判は覚悟で、ジーノはこのデモをマイケル・フレクシグに送っています。この時点で、ジーノの中に若干の迷いはあったものの、Vo.はフレクシグでいく…という決意の下、ふたりでデモに関する議論も交わされています。

そして、もう終わりは見えないんじゃないか?と、関係者(本人含む)全員が思うくらいの長い時間のトンネルの中に入っていくわけです。
(ホントニ ジゴク カト オモイマシタヨ。)

この間に、もともと原因不明の難聴の傾向があったジーノの聴覚はさらに失われ、一時は左耳が完全に聴こえなくなります。音楽を生業とする人間にとって作品の制作半ばに聴覚が失われるということは、生命を絶たれるほどの苦しみです。
そして、マイケルからの「ZENOのヴォーカルでいる意志は既にない」…という正式告知。

これでジーノは完全に打ちのめされ……ないです(笑)。
マイケルの脱退は半ば予想していたことでもあり、彼からの正式告知により、「このアルバム(Runway...)を自分が本当に作りたかった軸の太いロックアルバムに仕上げる」というジーノの願望を実現させる可能性も出てきたわけです。(*逆境好きなロート兄弟…という標語もあります。←嘘)

しかし、新しいヴォーカル選びは、決して楽なものではなかったです。
英国内でのオーディションも考えましたが、しかしそこに十分に時間を費やす余裕もなく、結局はファミリー・サークル内をサーキットすることになりました。
ここで、オーラフ・ゼンクバイル(Olaf Senkbeil)ともコンタクトを取っていて、彼も快くVo.を承諾してくれています。(ジーノの最終決断により実現はしませんでしたが。)

そしてライナーノーツにもある通り、ヴォーカル探しの旅は、いったんトミー・ハート(Tommy Heart)で落ち着くのです。

…「ヴォーカル考 -5-」に続きます。(いつまで続くのでしょうか?…汗)

ヴォーカル考 -3- 

Zeno Roth

ヴォーカル考 -2-」より続きます。

少し時系列を進めてみます。
マイケル・フレクシグ(Michael Flexig)との仲が、一時完全に歪んだのが「Zenology II」発売直後。このアルバムの契約前に、マイケル本人とウレ(Ule Ritgen)の許可と同意は取ってあり、ロート側にすれば"寝耳に水"のクレームではありましたが、しかし人間関係というのは、何が原因で、いつ崩れるともわからぬ薄い氷のようなもの。
その後、マイケル側から正式にジーノ脱退の意志を伝えられることになります。
このVo.交代劇に最後まで反対していたのが、実は兄のウリ(Uli Jon Roth)なのですが、ウリの説得も及ばず、結局、「新作のVo.を新たに探す」という課題に直面することになります。
そしてここからが険しい山道の入り口となるわけです。

なぜウリが最後まで反対し、また新Vo.探しが難しいものとなったのか…。それは、マイケル・フレクシグのヴォーカリストとしての精神的クオリティの高さにあります。
(ジーノにとっての)フレクシグの音域の問題というのは以前にも書いた通りですが、しかしそれを越えて、これまでの「ZENO」には(ロートとフレクシグの)ケミストリーが存在しています。
それは、ジーノの書く曲および歌詞を、フレクシグが非常に深く理解した上で歌っているからです。ジーノの詞はメッセージ性が高くメタファーを多用し、さらに行間の意味も多い。これを理解して歌うシンガーとそうでないシンガーというのは、結果に大きな差が出ることになります。
また、彼らふたりのレコーディング作業の緻密さというのは共通で、納得のいくまで何度もやり直すという点でも同じ音楽哲学を共有していると言えるでしょう。

兄のウリ以上に完璧主義であると言われている弟。彼のこだわりと性格をしっかり把握していたフレクシグは、同胞ウレ・リトゲンと同じく、「ZENO」哲学の要となるVo.だったのです。

…「ヴォーカル考 -4-」に続きます。

ヴォーカル考 -2- 

ヴォーカル考 -1-」より続きます。

妥協を許さず限界まで自分を追い詰めていくジーノ・ロート(Zeno Roth)の仕事の仕方は、各アルバム制作時、「これが最後の作品になる」という思いを彼に強く抱かせることになります。
それは、前作の「Listen To The Light」でもそうでした。
このアルバム(LTTL)用に曲を書いていたときは、マイケル(フレクシグ)の音域とファルセットを常に頭の中に置いており、彼の(自)声の届かない高音(つまり、ファルセットになってしまう域)を極力避けるようにして曲を書きました。もちろんそれは、ジーノにとって自然のことであり、当時は何の疑問も持っていなかったのですが、完成させたアルバムを聴き直しながら、彼自身の中で「ヴォーカルの壁」にぶち当たっていくことになります。

そしてその後に彼を襲った"創作"の苦痛。
その苦しみの中、自己の心の壁を素手で破るように、青天の霹靂のごとく生まれたのが、「Shades Of Blue」です。
非常にキーの高い、パワフルな高音が必要とされる曲で、マイケル(フレクシグ)の音域を考えれば、以前はあり得なかった楽曲。しかもこの当時(1998年)は新作のVo.はフレクシグの予定であり、レコーディング不可能になる可能性もあったわけです。

このときのジーノ・ロートの思いは、
「これが正しい選択ならば、あとは運命がこれに従う」。

そして、Vo.の音域に制限されない楽曲を、自分の書きたいまま心のままに書き綴っていくことになります。

この頃、いまだVo.はマイケル・フレクシグの予定でした…。


…「ヴォーカル考 -3-」に続きます。

ヴォーカル考 -1- 

Zeno Roth

ファースト・アルバム「ZENO」の1曲目で、いまだにジーノの代名詞的な曲でもある「イースタン・サン(Eastern Sun)」。
この曲を書いたとき、ジーノが想定していたヴォーカルは、ジャーニー(Journey)のスティーヴ・ペリー(Steve Perry)タイプ。…と同時に、実は「イースタン・サン」は、Journeyの名曲「Separate Ways」にも大きな影響を受けています。

スティーヴは、いまだにジーノにとって最高のVo.のひとりです。彼の声をイメージして書いた曲も少なくありません。さらに、ジーノにとっての「理想のシンガー」と言えば、ロバート・プラント(Robert Plant)とディヴィッド・カヴァデール(David Coverdale)。
(「Runway To The Gods」アルバムの「I Feel - I Live」を聞いて、カヴァデールを連想する方も多くいらっしゃるかもしれませんね…笑。ちなみにこの曲は「Burn」同様、最初の部分でVo.とドラムの掛け合いが楽しめます。)
それから他に加えるなら、ポール・ロジャース(Paul Rodgers)とジュディ・ガーランド(Judy Garland)…とのことです。

しかし運命とは不思議なもので、80年代の前半にZENOのVo.として抜擢されたのが、マイケル・フレクシグ(フレクシッヒ)(Michael Flexig)。ロートの書く曲とともに、フレクシグの天から響くかのような透明な声はトレードマークとなり、バンド「ZENO」に"神聖な"…というルビがつくようになっていったわけです。

…「ヴォーカル考 -2-」に続きます。
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About Zeno Roth

Zeno

Author:Zeno

---
The Official Zeno Roth MySpace
1956年6月30日、ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。

バンド「ZENO」で、1986年にEMI UKよりファーストアルバム「ZENO」でデビュー以来、メロディアス・ロック・シーン屈指のソングライターとして高い評価を受け続ける。
兄、ウリ・ジョン・ロート(Uli Jon Roth)とも比較される流麗な泣きのギターワークも常にファンの注目を集める。
また、高いメッセージ性のある詞も、Zeno音楽哲学の中では重要な位置を占めており、そのリリシズム溢れるメロディとともに、ヒーリング・ロックと呼ばれることもある。
作品は完全完璧主義であり、最後の一音に数ヶ月時間を費やすこともある。…が、素顔は結構ひょうきんである。

Copyright © 2006-2009 Zeno Roth All rights reserved.

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