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ヴォーカル考 -4- 

Zeno Rothヴォーカル考 -3-」より続きます。

ジーノ(Zeno Roth)が、英国にスタジオを移したのは2000年の夏ですが、その前の北ドイツ時代に、「Shades Of Blue」や「Runway To The Gods」を含む5曲ほどのデモは出来上がっていました。(ちなみに当時のデモ上での「Runway To The Gods」は、オープニングが微妙に違っています。)
デモはいつもジーノ自身のVo.で作られます。それを基に、本当のヴォーカルとディスカッションが進められ、レコーディングへ入っていくことになります。
(音域に関する)批判は覚悟で、ジーノはこのデモをマイケル・フレクシグに送っています。この時点で、ジーノの中に若干の迷いはあったものの、Vo.はフレクシグでいく…という決意の下、ふたりでデモに関する議論も交わされています。

そして、もう終わりは見えないんじゃないか?と、関係者(本人含む)全員が思うくらいの長い時間のトンネルの中に入っていくわけです。
(ホントニ ジゴク カト オモイマシタヨ。)

この間に、もともと原因不明の難聴の傾向があったジーノの聴覚はさらに失われ、一時は左耳が完全に聴こえなくなります。音楽を生業とする人間にとって作品の制作半ばに聴覚が失われるということは、生命を絶たれるほどの苦しみです。
そして、マイケルからの「ZENOのヴォーカルでいる意志は既にない」…という正式告知。

これでジーノは完全に打ちのめされ……ないです(笑)。
マイケルの脱退は半ば予想していたことでもあり、彼からの正式告知により、「このアルバム(Runway...)を自分が本当に作りたかった軸の太いロックアルバムに仕上げる」というジーノの願望を実現させる可能性も出てきたわけです。(*逆境好きなロート兄弟…という標語もあります。←嘘)

しかし、新しいヴォーカル選びは、決して楽なものではなかったです。
英国内でのオーディションも考えましたが、しかしそこに十分に時間を費やす余裕もなく、結局はファミリー・サークル内をサーキットすることになりました。
ここで、オーラフ・ゼンクバイル(Olaf Senkbeil)ともコンタクトを取っていて、彼も快くVo.を承諾してくれています。(ジーノの最終決断により実現はしませんでしたが。)

そしてライナーノーツにもある通り、ヴォーカル探しの旅は、いったんトミー・ハート(Tommy Heart)で落ち着くのです。

…「ヴォーカル考 -5-」に続きます。(いつまで続くのでしょうか?…汗)

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About Zeno Roth

Zeno

Author:Zeno

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1956年6月30日、ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。

バンド「ZENO」で、1986年にEMI UKよりファーストアルバム「ZENO」でデビュー以来、メロディアス・ロック・シーン屈指のソングライターとして高い評価を受け続ける。
兄、ウリ・ジョン・ロート(Uli Jon Roth)とも比較される流麗な泣きのギターワークも常にファンの注目を集める。
また、高いメッセージ性のある詞も、Zeno音楽哲学の中では重要な位置を占めており、そのリリシズム溢れるメロディとともに、ヒーリング・ロックと呼ばれることもある。
作品は完全完璧主義であり、最後の一音に数ヶ月時間を費やすこともある。…が、素顔は結構ひょうきんである。

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